誰かという人物はいないのに、ダンスがダンスしている・・”世界”で起きているのはそのようなこと。人物はいないのだから、人生を生きる誰かもいない。ならば深刻さは必要ない♪
自我が認識するのは全体の一部。自分で切り取った一部を「世界」と名付け、満足のいかないものとして認識しています。でも私(世界)の本質は分離のない全体。最初から全てはここにあります。
いつ、どんな瞬間にも、あるのは”今ここ”だけ。どこまでいっても、いつまで経っても、”今ここ”以外何もありません。それなのに、今ここでの選択は、過去にも未来にも影響する・・・
★こんなお話しをする予定です。みなさんとお会いできることを楽しみにしています★