フルーツの仕事だけで生活していると思われることも多いのだけれど、実はばりばりの会社員である私。
今年の目標の1つに「会社を辞める」ことを掲げているから、独立すべく少しずつではあるけれど準備を進めている。
その一環として、自分の持ち味を効果的にお客さまに伝えていく方法論について勉強を始めた。
初心者だから、ノウハウのさわりをチラッと開示してもらっただけなのだけれど、日常の様々な場面に使えてこれがなかなかおもしろい。
教わったことを自分のやりたいことの上に落とし込もうと試行錯誤するうち、私は一体なぜ、フルータリアンという少々ストイックな食のスタイルにこだわるのか?という問いに対する答えが、突然表層意識に現れた。
要するに私は、self-discipline(自己修養)のツールを必要としていたのだ。
もちろん、ダイエットやアンチエイジングを期待して始めたことではあるけれど、食と向き合う際「節制」「規律」「躾」といった要素を多分に必要とするフルータリアンの食事スタイルを継続するには「理性」「分別」「克己」「つつしみ」といった、心のありようというか、精神力が必要になる。
そうやって自分を律して生活していくうち、自然と身につくのはたぶん「清潔感」や「気高さ」、「品位」や「エレガンス」、そして自然に対する畏敬の念といった崇高な精神性。フルータリアンというライフスタイルを実践することで、そんな精神性を宿す人間に私はなりたかったのだ。
でもね~。
飽食の日本にあって「食」は生命の土台などではなく、むしろ娯楽やストレス発散の手段に近い。
ストレス発散どころかdisciplineを求められるような食のスタイルに、共感してくれる人がどれだけいるのだろう。そしてそれをひとさまにおすすめすることがお節介でないと言いきれるのか。。
職場で周囲を見渡し、ちょっぴり落胆した私デス。
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